ふりだしにもどる

日常と雑談と主観

Can you feel like I do

確実に精神的に弱くなった自覚を持つ。それもそうだ、自分が絶対的に正しいなんて思っていた子供の頃とは違っているからだ。

 

あれほどまで「自分の周りこそが世界の中心でありそれが全てなんだ」と思う時期は無い。閉鎖的な生き方をしてきた反動を今度は社会が抑制しだす。なんて人生なんだ、嘆くしかないではないか。

 

幼少期の方が柔らかい考えをする、というのも自覚がある。老いによる思考停止が始まってる。きっとこれも先人の思考で自分は特別でもなんでも、そうだスポットライトはもう消えかけているのだ

 

 

何に影響されたか分からない人間なので、この文もまとまりが無い。ネガティブというのはいつだって付き纏うし、今頃思春期気取りもなんとなく恥ずかしいではないか

回想する時はいつだって現実がダメな時なんだ

話題が無い時や、久々に昔からの付き合いがある人と会うとどうしても過去の話ばかりしてしまうよね。そりゃあそうだ。実体験を共有出来てない人間に説明するのが難しいのだ。そういう時、SNSだったりブログだったりがあると便利なんですよ。過去の勢い任せの存在していた自分、そう、そういったものがインターネットの醍醐味なんだって僕の古くからの友人も言ってました。

 

はてさて、本日は雑談+ゲームのカテゴリーで何を話そうかというと

これまで自分は下手だけどゲームを遊んできた、という実感があり、現状ゲームをやりたいのだが如何せん現実問題として職給与安心将来時間睡眠統括すると生活が、と気怠く易々と解決しそうにないものばかりが時の流れと共に襲い常に自分の内側を蝕んできたりもするのだが、タイトルにも書いてある通り、そう、誰かに自分の人生を弄んでもらいたいくらい、敷かれたレールの上を歩いていたい欲が出てきて。無趣味かつ怠惰後ろ(俯)き人間ですので。ネガティブな話をしても人は寄りはしない?出る杭・・・

 

閑話休題

思えば小さな頃、インターネットの普及がままならない90年代に今でいうレゲーレトロゲーム)※ただしSS(セガサターン)やDC(ドリームキャスト)なのでジャネレーションギャップを感じる方も多いと

を遊んで、21世紀に入るとPS2が出て、そこからスマブラ中心の任天堂ゲーム、割と同年代が多くやっているであろうゲームを遊んで来たんです。

現在は様々なゲームがあるんだなぁとインターネットの普及により情報社会化が進み気になったゲームを調べられたりもしてやらないでやった気にすらなれる、という素晴らしくも便利な社会になってきて。

現在もゲーム文化というのは盛んでなんでも「e-Sports」(Electronic sports)という名称で賞金の出る大会、それに伴い「競技」と捉える動きが日本でも盛んになってきたという。簡単に言えば「ゲームを娯楽スポーツにしよう」という動きである。WWEっぽくてイイネ(きちんと学習してから再度自分なりに書きたい欲がある)

 

さぁここで問題が生じる。ゲームを遊ぶにおいて

・金銭問題

・機器購入

・インターネット環境

・ゲームセンターの場所及び立地

・生活に対する活動時間

 

興味ある事なのに現実問題でそこから離れなくてはならない、という苦しみがね・・・

 

 

 

 

華の様であり夢の様、それも一時の様相で 古い傷はここにある ただ一生未完治

FoZZtoneのMOB RULEから。カッコ良いですよね。もう、それに尽きる。

 

Twitterの話をする。人間関係が希薄になり(年齢的に社会人が増えていく以上仕方の無い事だが)人生の未来予想図どころか明日の予定すらも空中を散歩して将来への見えない重圧が無気力かつ睡魔となって体を蝕んでいく昨今、専ら自分はTwitterで一定の人間にしか伝わらないであろう(内容自体は文や文字や単語として見ても勢い任せの理解し難いものではあるが)そんな事ばかりを呟いては何故か関わってきた人間に反応され、と内輪向けと完成されてしまい。

時たま「自分の一面であって本心ではない」と思ってしまうのだが、キャラクターというものが出来上がってしまうとどうしても不自由さが出てしまうのである。

人間完璧には潔白を求めやすいもので(自論なのだが)失言や揚げ足取りを見つけると即座に見方を変えてしまうのが多くて、かつ「この人にはこうであって欲しい」という決めつけという期待を抱かれてしまい、人一倍他人の視線が気になる自意識過剰の身からしたらそれが苦しくもなってしまう。

過去のアカウントを消してしまった後悔が今のアカウントを消去するのを躊躇い、また数少ない繋がりを断ってしまうと本当に自分が終わってしまうのではないかという焦燥感すらも。

どれもこれも「安心」が現実世界の自分に無いからなのである。幸せになれる環境と未来を下さい

 

薬がわりにピアノをひとり弾いてみようか

 

そら

そら

 

 名盤ですよね。きっと90年代の声優オタクだったら林原めぐみ國府田マリ子を追っかけてたと思う。裕福に生まれてたら、だけど

節分の日が過ぎてしまった

年齢を重ねるに連れて誕生日を祝われる事が少なくなった事に気付く。人間関係というのも年月において距離が出来るものである、と。

 

 

残念な事に厄年。大厄である。人生を変える出来事に誘われたい、という夢が叶うと良いですねホント。末吉でしたけど今年。

 

・グラブル

コラボ終わったのでやめました

 

・音楽

金銭的理由によりCDを購入出来る事が無い。働かなきゃいけない、でも働き先が・・・

 

・現状の自分は精神的に参ってる事だけは確か。とにかく人生を大きく変化させてくださいとしか

もしも「もし」が無かったら

 

YOUNG KING

YOUNG KING

 

 小学生の時に日本語RAPのブームみたいなのがキてましてね。紅白にも出場しましたよね。今聴いても、いいですよね

 

 

キミとキスして笑い転げる

グラブルのスレイヤーズコラボイベントがクソだった、という声に対し「嫌ならやるな」と言うとキレられそう


ありましたよね、テレビ批判の「嫌なら見るな」


あれ、ブーメランじゃ…


とまぁ言い分は分からないでもないし作品知らないから嫌いになるわなんて感情も分からなくないし、ただまぁ冗談の1つは浮かんだからまぁそれはそれ。好きなものでも擁護だらけは気味が悪いもんだし。好きなものを貶されたら嫌がる気持ちも分かるし。時の流れに埋もれて眠る。多分サービス終了した時人間性が…



ゲームなんだから真面目に楽しめば良いんですよ。楽しむ、をゲーム外での刺激で楽しみ始めたらそれはもうゲームを楽しんでるワケではないんですよ。いやでもゲームやりながらの発言には神が宿る時あるし笑いの。人それぞれで片付けるしかないかな

電車内から

若者の所持金が低い話とか世間の賃金だとか就職問題とか1億総だとか他人の事など心底どうでもよい本能を持つヒト科が解決出来る問題なのかと


その話をしてたら憂鬱が酷くなるので

10代の頃に自分は「精神的に辛い時は食欲が無くなるので貧乏人は病め」なんてネジとタガが外れた事を言ってたけど

今まさにそれ。精神的に辛いと食欲が無くなる

目が覚めると嘘だった

三本仕立てで行こうかな

・最近遊んでいるゲームはありますか

我が家の家庭事情によりネット回線が「脆弱かつ遅行」なので例えばパソコンを使いながらオンラインゲーム、我が家にあるのはPS3なのでそれを同時進行すると「落ちます」

なのでスマホでゲーム或いは携帯機はどうかとなるとそうでもない。そもそもゲームを購入する意欲関心が無い。音楽趣味に走りたくなってCDもソフトも高いとなって結局手詰まりになるんだけど無趣味に走ってしまう。こうしてスマホでネット見てダラダラ過ごす、なんてのが日常になってしまうんですよね。ああ怠惰惰性・・・

でもパソコンでグラブルだけはやってるんですよね。スレイヤーズのイベント終わったら間違いなく止めるけど。スマホゲーの新規の敷居の高さったら恐ろしい

 

 

・音楽

キングレコードアニメソング主義に走りつつ矢吹曲を基準に過去のキンレコ所属声優楽曲を漁ったり、中野にあるメカノさん(詳しくはググって、後日語るので)を立ち寄り吟味、ネットで情報収集等、割と意欲はあります。唯一の趣味ですかね、でもカラオケだけは嫌いです。ここ2年で嫌い度が段違いに上がった。強制は特に。今一番入手したい曲は「禁断の惑星」

 

 

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・雑談

インターネットで知り合った方との距離の取り方の問題とか、色々語りたいけど抱く感情に対してそこまで深く考えなくても良くないかどうせ出口は無いんだし、となる。

人間「世間体」というのを気にし過ぎているよなぁと年齢を重ねる度に思うようになりました。集団になると人間性が見えてくるし、1対1だと平気で他人に合わせるようになったり、と。主に自分はTwitterで意味不明な事ばかり呟いて他人とやり取りしてるんですけど、その関係が広がると面倒なのが増えたりもする。かつて「お前に合う人がいたら怖い」なんて言われた事もあるけど、合う合わないなんて一時の感情の波長でしかないではないかと。結局は妥協と我慢ではないかと。弱者思考も板につき、いらぬ他人の心配をしでかすのも優しさの中の欠片ほどの安心に浸りたいだけで。

 

 

喜びを感じたい時は恥も何も無くして「必要とされたい」と思う事です。社会的にも精神的にも、ストレスを感じないで自分中心に、導かれつつ先頭を歩き、それでいて持て囃されたり、と。足りない物が多いのに考えるのも止めてしまうのは良くないですね